⼊社した理由
就職活動の様⼦を教えてください。
実はあんまり就活に積極的な学⽣ではなかったんです。⼤学の学部は経済学部で、当時は卒業後に留学も検討していました。ただ親の⼿前、就活しないわけにはいかないと思って(笑)。
どういう業界を受けていたんですか?
バンダイも受けたし、アパレル系も受けていました。アニメ業界もいくつか受けましたね。
映像業界の志望動機はあったんですか?
エンタメ全般が好きだったので、関⼼は⾼い⽅でした。⼩さいころから映画館に連れて⾏ってもらうなど、体験にお⾦を使うことも多かったですし、割と広めにアンテナを張っていました。週に1本以上はビデオをレンタルしていました。
そういえば⻄新宿にある貸しビデオ屋で、B級特撮映画を良く借りていました。洋画もメジャーどころは⼀通り⾒ましたね。好きだったのは「バックドラフト」、「グーニーズ」、「スターウォーズ」シリーズにマーベル……。映像は実写もアニメも好きだったんです。
僕は映像を売るよりも、作る⽅の中枢に⾝を置きたいなと思っていたので、制作のほうに興味がありました。
ちょっと脱線しますが、「⼀番好きなアニメ作品」を教えてください。
ディズニーの「美⼥と野獣」、テレビシリーズの「新世紀エヴァンゲリオン」、「キン⾁マン」、「シティハンター」「逆シャア」……
改めて聞かれると、点では好きなものがあるけど、⼀貫性はないみたいです。特別に好きなジャンルも……ないですね。
ジャンルではないんですが、ストーリーとしてはドキドキわくわくするものがいいです!冒険物でも、サスペンス要素でも。
サンライズを受けるきっかけはありましたか?
バンダイを受けたときに、説明会でグループ会社が紹介されている冊⼦をもらいました。そこにサンライズの名前があったんですね。いいなあと思って、調べてみたら当時は採⽤スケジュールが遅めだったので、まだ間に合う!とそこからエントリーしました。
ガンダムが好きだったんですか?
ロボットはロボットで好きだけど、特別な思い⼊れがあったわけではないですね。
⾯接で好きな作品を聞かれたと思うのですが、何て答えましたか?
「ガサラキ」です。ちょうど⼤学⽣だったときにオンエアされていたので、好きで⾒ていました。
エントリーからあれよあれよという間に内定が出た、って感じです。
内定が出た後も、留学するという選択肢もあったと思いますが……
サンライズだったらなんだか⾯⽩そうだなあという気がしたので、留学はせずに⼊社することにしました。
アニメが⼤好き!とか、○○って作品に影響された!とか、○○を作りたい!という感じではなかったんですね。
特別アニメ業界を志望していたわけではないので、業界研究もしていなかったんですね。作品タイトルも⾃分がこれまで好きで⾒たものはあったけど、他の作品をあえて時間を押さえて⾒てみる、ということもしていなかった。予備知識は少なかったなと思います。
⼊社してから
⼊社後はどのスタジオへ配属になったんですか?
第1スタジオです。作品はテレビシリーズの「⽝夜叉」でした。僕が⼊ったころは佐藤(弘幸)社⻑がデスクの時代でしたね。
⼊ってみてどう思いましたか。
仕事をするまで、動画と原画の違いもわからないし、作画監督、⾳響監督など、“○○監督”がいっぱいいることも知らなかった。何にもわからないので、ただただ全て学ぶことしかない環境でした。失敗を経験して、体得していったという印象です。
1スタ配属から、どういう作品に携わってきましたか?
そこから⼗数年1スタ育ちなんです。「⽝夜叉」「焼きたて!! ジャぱん」「結界師」「テイルズ オブ ジ アビス」「⽝夜叉 完結編」「機動戦⼠ガンダムUC」と担当しています。
制作で必要なエネルギー
制作現場で学んだことはありますか?
今でこそ社内のセミナーや研修、マニュアルがありますし、インターネットで調べれば、仕事のやり⽅やヒントは⾒つけやすくなったと思います。
僕の⼊社当時は知るすべがなかったので、ともかく先輩やクリエイターさんといった、盗める先からは積極的に盗まなくちゃいけなかった。制作進⾏のときも、デスクになっても、プロデューサーになってからも、その⽴場になって初めて出会う仕事があります。僕はその仕事に関わる⼈たちに、⾃分から教えを乞うていきました。
分からないことは⾃分から聞きに⾏く、ですね。
例えばビジネスのことが分からなかったときは、事業担当に仕事が終わった後ファミレスで教えてもらったり、⾳楽のことはサンライズ⾳楽出版(現バンダイナムコミュージックライブ)に教えてもらったり、プロデューサーとしての⼼得は当時の上司だった若鍋さんに教えてもらいました。
“待ち”の姿勢ではダメだったんですね。だからそこは⾃分で積極性と主体性をもってやっていました。
ほかに気づいたことはありますか?
どのクリエイターさんも、特に作品のメインを担う⽅は全⼒なんです。性格は⼈それぞれの個性がありますが、とはいえ根っこの部分では全⼒でやってくれています。その⼈たちと向かい合うには、こちらも全⼒の情熱やエネルギーがないといけない。
⽴場や年齢など、序列的な上下はありますが、⾃分の役割を果たすために、尊敬の念は持ちつつも対等な気持ちで⼤先輩と戦わなきゃいけないときもあるし、逆に対等な気持ちで後輩や若⼿がぶつかってくることもあります。だから⾃分に“気持ち”がないとやれない仕事だなと思います。
制作で⼤変だったこと
⼀番⼤変だったお仕事を教えてください。
作品で⼀番⼤変だったのは「テイルズ オブ ジ アビス」。
班としてがファンタジーにあまり慣れていなかったんですね。宇宙とか、チャンバラとかは得意なんですが、これまであまり描いてきていない題材でした。
またゲームは世界観設定の要素が多く、建造物やプロップ(⼩道具)なども細かく決まっているので、気を遣う必要があります。
さらに作品の中⾝の部分ではキャラクターの多さに苦戦しました。ゲームでは7⼈いる中からパーティ編成をして4⼈などになりますが、アニメでは常に7⼈が付きまとうんです。道を歩くのも7⼈、戦うのも7⼈。画⾯内の⼈数が多い分、作業は⼤変になります。
デザインはゲーム準拠のため線の数を減らさず、緻密なものが求められ、またゲームではオープニングムービーをアニメで扱っていて、これのクオリティが⾼いものだったので、そこを⽬指して作る必要がありました。
いざ制作が始まってみると、普段の作品以上にクリエイターの皆さんも作業に時間がかかっている印象で、とにかく苦戦していました。テレビシリーズだったので毎週完成させて納品する必要がありました。⼭場が連続して、すごく⼤変でした。本当に⼤変だった(笑)。
ゲームのアニメ化ならではの苦労もあったんですね。
この間久しぶりに⾒返したんですが、出来が良いなと感じたので、あの時の⾃分頑張ってたなと思います(笑)。
アイカツ!プロデューサー
「ガンダムUC」から「アイカツ!」へはどういう流れで異動されたんですか?
「UC」の7話が始まるくらいのときに、当時制作部⻑だった佐藤さんから「アイカツ!」への異動のお話を頂きました。アニメは10⽉から放送開始していて、1クール⽬が終わったところです。1年間放送することはすでに決まっていましたが、続編はまだ未定の状況でした。
それが「なんだか作品がすごく売れ始めている!」となり、すぐに2年⽬以降の放送が決定したんです。⼈気がガッと出たんですね。
当時は若鍋(⻯太)さんがプロデューサーでいて、制作現場のメインはテレコム‧アニメーションフィルムに依頼していました。ただ⾊々と⼯夫しなければいけない点があったので、現場を⽴て直し2年⽬以降も制作していくために、途中から参加することになりました。
サンライズ側のスタッフは若鍋プロデューサー以外にデスクはいたんですか?
デスクはいなかったです。プロデューサーと設定制作と、社内で作る話数があれば進⾏がいるくらい。もともと1年で終わる作品の予定だったので、本当に⼩さいチームだったんです。
僕が「アイカツ!」へ⾏ったときは「テレコムさんがいるから⼤丈夫!」と聞かされていて、いざテレコムさんに話に⾏ったら「2年⽬はできません」と⾔われてしまいました。「あ、ヤバっ」と思いました。
そこから半年くらいで、ミニマムなチームから、⾃分たちで作れるスタジオへ体制を整えました。制作進⾏は2⼈しかいなかったです。
「アイカツ!」のスタジオに番号は振られていたんですか?
サンライズにある時はずっと「アイカツ!スタジオ」と呼ばれていて、バンダイナムコピクチャーズに分社した際に「Aスタジオ」になりました。
「アイカツ!」でトライしてみたことを教えてください。
「アイカツ!」はメインターゲットは⼦どもに向けて作られていたのですが、幅広い層のお客さんが好きになってくれました。だからアニメを作って終わりじゃなく、そこからライブをやろう、イベントをやろう、こういう商品を出そう、と様々な展開へ発展させていきました。振り返ると貴重な体験だったと思いますね。映像やキャラクター、ドラマや歌をどう⽣かすかを考えながら、作品を作っていました。
映像を売るだけじゃなくて、⾊々な事業へ広げていくところに、僕や事業部の担当者が⼀緒に取り組んでいけたことは「アイカツ!」ならではかなと思います。
「フラ‧フラダンス」
リクルートサイトにも使⽤している「フラ‧フラダンス」について教えてください!
「ずっとおうえん。プロジェクト」のお話があって、舞台が福島県いわき市、そして「スパリゾートハワイアンズ」のフラダンサーの物語を作ろうというところまでは、早めの段階で固まっていました。
作品を作る上の苦労があれば教えてください。
これは完全オリジナルの作品だったので、キャラクターやストーリー、描く場所全て⾃分たちで決められる反⾯、それらをしっかり組み⽴てていく作業が求められました。
いざ作品を作り始めてみると、どこまでをそのまま描くのか、逆にどこからフィクションとして描くのかを判断する必要がありました。
リアルに描くところは、ロケーションを確認したり、許可を取ったり、リアルに描けるように動かないといけません。
舞台となった福島県いわき市には何度も訪れました。⾃分だけでなく、スタジオのスタッフが⽇帰りで⾏くことも。特にスパリゾートハワイアンズはその都度必要な写真を撮りに⾏っていましたね。
フィクションで描く部分は、そういった世界観の中に馴染むように、バックボーンを含めてキャラクター付けをして、キャラクターを深堀りして作ったので、すごく時間と労⼒がかかります。オリジナル作品を作る、さらには映画を作るというのは、⼤変でしたが今振り返るとやりがいがあったなと思います。
今の仕事
今のお仕事を教えてください。
制作部全体の管理統括と、各作品制作現場の管理です。ほかにも新しい作品の企画などが持ち込まれたとき、最初にお話を受けています。
今のお仕事の楽しいところや、やりがいを教えてください。
ちょっと質問とはずれるかもしれないけど、僕が⼤切にしているのは楽しみながら仕事をすることです。管理の業務は楽しくないけど(笑)、少しでも楽しみを⾒出せるように、フラットでニュートラルな状態で常に物事に取り組むようにしています。
あとは制作の現場‧作品‧企画と向かい合う時には、プロデューサー⽬線をもって、⾃分がお客さんに届けるなら、という視点で判断するようにしています。
最近あった楽しいお仕事はありますか?
⾃分で新規の企画を考えています。その企画を⼀緒にやりませんか、と⼈に共有しているときが楽しいです。
伊藤さんも作りたいものがあるんですね!
作りたいものしかない!原作があるときは「⾃分ならこういうクリエイターとこうやって作りたいなあ」と考え、オリジナルだったら、どういう題材で、どういうターゲットに向かってやりたい……というのを常に持っています。常に作りたくて仕⽅ないです!
⼊社を検討されている⽅へ
バンダイナムコピクチャーズの強みを教えてください。
例えば「アイカツ!」がそうですが、映像を作って終わりではなく、映像やキャラクターを中⼼にもっとビジネスを広げて、たくさんのお客さんに届けたいと思って働いています。
⾃分たちの商売のスケールを、“映像を作って終わりの⼿が届くだけ範囲”よりも、“映像を作ってから仲間たちが広げてくれる範囲”までを含めて想像して、業務に当たっている⼈たちが多いです。このような発展的な視点を持った⼈たちと、常にコミュニケーションできることはすごくいいですね。常に「今何が売れているか?」「次は何が売れるのか?」を考えるきっかけになります。
アニメ作品の傾向をチェックするんですね。
それは勿論ですが、アニメや映像だけではありません。流⾏っているアプリとか、題材、商品など、エンタメ業界全般に対するアンテナを持っていないと、新しいものは創造できません。
⾃分と同じようにアンテナ感度の⾼い⼈たちがたくさんいて、彼らと⽇ごろから話しながら⼀緒に仕事ができることは、常に刺激をもらえます。だから⾃分も周りの⼈に伝えたいし、逆に1年⽬の新⼈さんから「こういうの⾯⽩いんですよ」と教えてもらって興味を持つこともあります。いい会社だなと思いますね。
どういう⼈がアニメ業界に向いていると思いますか?
まずはエンターテインメント全般に興味があること。また、アニメーションは集団制作なので、チームプレイを楽しめる⼈です。
あとは、ファンとしてアニメを作るのではなく、ファンにアニメを届ける側、プロの制作になる覚悟がある⼈に来てほしいですね。⼊社すること、制作することが⽬的ではなく、⼤事なのは誰かに届けたい、伝えたいことがあり、それを実現するために裏⽅に徹する覚悟が必要かなと思います。
これから伊藤さんがやりたいことを教えてください。
⾃分が温めている企画を世に出したいし、ヒットさせて、⼈を喜ばせたいというのがあります。僕は常に何かを作りたくて、もしくは何かを作るために⾃由に考えている⼈間です。バンダイナムコピクチャーズが次の世代、その次の世代になっても、⾃分たちが作りたいもの、届けたいものを⾃由に考え、⾃由にアクション出来るような会社にしていきたいです。
貴重なお話、ありがとうございました!